つれづれにしき

徒然と心に浮かぶよしなしことを書いています。感情の起伏を感じてグラフにすると心電図のようになります。ならねえか。

テンプレート

くそでか文字くん、メモから貼り付けるとこうなるらしい。

なおらないのかなあ?なんだこれ、どうしたらいいんだ。とりあえず目が良くないかたに優しいスタイル、統一感がないと気持ち悪いかたには不快感を与えるスタイルですね。


それはさておき今日はこちら。


最近ふと気づいたことがある。

これまでたくさんの人たちと会話してきたが、わたしは特定の人とはマジでテンプレに沿って会話してきている。

それらは内輪ネタというにはあまりにも内輪すぎ、独り言でも使ってしまうくらいに脳に染み付いている。


例えば日常を過ごしていて、どう言い表すこともできないような感情になったり、いちいち説明するのも面倒なイライラするできごとがあったりする。もしかするとみなさんにはそんな時が訪れることはないかもしれないが、わたしにはある。

そんな時、絶叫するビーバーのモノマネをすることがある。絶叫するビーバーの元ネタはこれだ。

https://www.youtube.com/watch?v=rvshj8lD2-c


動画のビーバーのように少し遠くの方を見つめ、喉を潰して「あ゛ぁああああ!!!」と叫ぶ。こうすることで、「もう!なんなのぉ_||○」「意味がわからないんだしん!><」のような言葉に代えている。


半年前くらいだろうか。この動画を送ってきた友人に、わたしのこと分かってるなとニンマリした記憶がある。

わたしは勢いと繰り返しに弱いのだ。

全然意味のわからないネタでも勢いがあると笑ってしまうし、全然似てないモノマネでも繰り返されると笑う。まあ精神年齢が赤ちゃんなので当然だ。

そんな、わたしの笑いのツボに理解の深い友人とは、基本的にずっとボケ合戦をしている。(と、わたしは思っている。)いかにボケ、いかにボケを拾うかの戦いだ。内輪と言われればそこまでだが、これは真剣勝負だ。ボケ忘れや見逃しは許されない。(友人はほぼ100パーセント拾ってくるので尊敬している。)


話は戻るが、この動画を送ってきた友人と会ったときのことである。ものを落とした友人が遠くを見て「あ゛ぁああああ!!!」と叫んだ瞬間、即座に絶叫するビーバーのモノマネと分かったし、あの映像が浮かんだ。

そのため、わたしは絶叫するビーバーというボケを拾わないといけない。どうやって拾うか。友人の勢いに笑いつつ、拾い方を逡巡している暇はない。判断力がものを言う世界。ははは!と反射で笑っている12秒で考える。


ちなみに、モノマネ系ボケを拾うとき、鉄板の返しがある。「○○すな」である。

友人の全然似ていないモノマネシリーズである、犬夜叉(他には工藤新一、ミニーちゃん等ある)に気づいた時に「犬夜叉すな!」などと拾うと比較的よい。わたしもよく言われる、「○○すな」ーーーー今はこれしかない。

すかさず「ビーバーすな!」と発して、満足そうに笑う友人もひと段落ついたところで、わたしも唐突に絶叫するビーバーのモノマネをする。友人も「ビーバーすな!」と拾ってくれる。

とまあ、絶叫するビーバーをはじめとして、このような共通のテンプレが膨大な数ある。テンプレを使ってボケ合戦をしているのだから、染み付いてしまって当然だ。淫夢厨がついついどこでも語録を使ってしまう感覚に似ているかもしれないな。公的な場所にはそぐわないのでやめたいものだ。


文字に起こして思ったが、わたしと友人、めちゃくちゃ仲良いな。

わたしが前の彼氏と別れた日も、就職試験のプレッシャーでめちゃくちゃな時も、試験の前日も結果発表の日も駆けつけてくれたのは友人だった。

一生一緒にいてくれや友達部門MVPである。

きっとこの文章を友人が読むことはないだろうけれど、心の底から感謝しているし大好きだ。


まあそんなズブズブな関係でここまで来られたのは幸せなことである。その弊害として、テンプレばかり使って会話してしまう状況が生まれている。


テンプレでしか会話できないわけではないと思う。ただ寂しいだけだ。1人でいても誰といても、むしゃくしゃすると、ふいに絶叫するビーバーの映像は出てきてしまうのに、それを拾ってくれる友人はそばに居ない。

書いていてめちゃくちゃ寂しくなってきた。


4月から身の周りに持ち上がりの友達は1人もいない。わたしは友人の代替を探すのではなく、新たに関係を築いていきたい。

前を向いて歩かないと。それに伴って、絶叫するビーバーとも徐々にお別れしないといけないなと感じ、この文章を書いた。

どうか、数年後にもしこの文章を読み直しているわたしがいたら、何考えてたんだ、若いなと思ってもらえたらそれ程うれしいことはない。

これは友人との楽しかった記憶の記録だ。


電車に乗っていて、そろそろ尿意が限界なのでここまでにしておく。尿意と向き合う時間にすることにする。

誕生日

どうも。誕生日でした、わたしです。先日の卒業式についてはまだ心の整理がついていないので、追い追い書けたらいいなと思います。


わたしは誕生日が割と嫌いだ。

というのも、わたしは誕生日を忘れられることがとても多い。思い返すと寂しい思いをした記憶が多すぎて憂鬱になるくらいに。

軽くトラウマレベルで、誕生日が好きではない。

もちろん、お祝いされることはとても嬉しいし、楽しい記憶もある。

けれども例年、なんとも言えない気持ちで過ごすことの多い日が誕生日だ。特別視しているからかもしれなくて、なんとも言えない気持ちで年間200日くらい過ごしている可能性も、否めないが。


3月18日というのは、例年まあ忙しい日である。卒業式、進級、転勤、引っ越しなど。

こんなクソ忙しい時期に生まれた自分ーーもしくは産んだ母親が原因のひとつだとは思う。


自己肯定感がそう高くないわたしは、ついマイナスに自己完結してしまうことが多いために、例年以下のように考えることが多い。

友達は多くいて、一緒にいたり連絡をとったりする機会も多くあるにも関わらず、誕生日は忘れ去られることが多い。

これはつまり、わたしは上辺だけの関係をダラダラと築くことしかできないやつだ、と。


印象的なエピソードとして、中学生のとある誕生日の日、登校から下校まで誰1人に誕生日であることに触れられなかったことがある。人生の中だと2回。

自分から誕生日だよアピールをすれば良かったのだろうか。今だに分からない。プレゼントは誰からももらえなかった。


日頃の行いを振り返ると、覚えていて起きていれば12時ちょうどに、起きていなかったら起きたときや相手の誕生日になる時間などに、忘れていたら気づいたときにお祝いのメールを送ったり、会う日であれば第一声でお祝いしてきたし、プレゼントも渡せる範囲で渡してきた。まあ抜けはあると思う。おれわたし漏れてるんだがって人は文句言ってきて。お願いします。

とはいえ、なんだろう、このなんとも言えない損をしている感。


ここで先述した、上辺だけの関係を云々の考えに至る。そうして例年、わたしの悪い癖である、自己嫌悪が始まる。

何も言わずに誕生日のお祝いを待とうとするとか、まるで相手を試しているようで嫌なやつじゃん。そうやって、ギブアンドテイク的な考えをしてるけど、友達はそんなふうに評価したり取引したりする相手じゃないでしょ…。

とかね。


まあもちろんそんなこと考えないくらい嬉しい楽しい大好きな誕生日エピソードも、もりもりある。

サプライズでケーキが出てきたときとか。あの時はとっても嬉しかったのだけれど、飲みすぎて何回吐いても吐き続けている地獄みてえな時にケーキを食べる流れだったなあ。


今年は友達に動画をもらって感動した。ツイッターランドのみんなにお祝いのリプライをたくさんもらった。

隣の家の大学生はバカ騒ぎしてるなあと思ったら出かけていったので今は静かだ。

引っ越し準備をしながら、ひとりで過ごす誕生日。なかなか、アリです。門出に伴って別れが続いたことが尾を引いて、ちょびっと寂しいのが難点。

これから元バイト先でご飯食べてこようっと。

字がデカくなる設定が直せない

電車に乗ることが多いので、暇つぶしがてら乗り物について文章でも書いてみることにした。

前提として、わたしは乗り物に乗ることが大好きである。徒歩はまあ、普通だ。


乗り物の好きなところは、速いところ。せっかちなので徒歩でゆっくり世界が進むよりもさっさと目的地に着くほうが好きなのだと思う。


その中でも、公共交通機関はかなり好きだ。

ちなみにこの場合の好きは、知識があるとかその道を極めたいと思っている好きではない。

理由としては3つ挙げられる。

まず、乗っている間ぼんやりできること。これは自転車や自動車に乗っていたらできない。危ない。

次に、寝られること。以下同文。

そして、全く知らない人たちと空間と時間を共にすること。道端を知らない人と歩くことはあるから以下同文ではない。


公共交通機関において、ある一定の時間は、おなじ空間で時を共にする。つまり、何か緊急事態が起きて閉じ込められたりした場合は手と手をとりあって、またはお互いを蹴落として生きるか死ぬかの二択になるわけだ。


めちゃくちゃデカいスマホのバッテリーを持ち歩いてる人、つり革を掴む肘で攻撃してくる人、寝ているのかと思いきや最寄駅でスッと降りていく人あたりが活躍するのではなかろうか。

目的地に着くまで外に出ることはできないしその場にいる人間を変えることもできない。ほとんどが初対面の人だけの、閉鎖的な空間で繰り広げられる心理戦。


閉所恐怖症には堪えるな。考えるのをやめよう。

乗り物に乗ると世界に人がたくさんいると実感できる。

わたしは定期的に何日も家から一歩も外に出ない引きこもりになる。家にテレビもないし、ツイッターツイキャスしか見ていないので、引きこもっている間にバイオテロとか起きて世界滅びてても気づかないと思う。

なので、あーふつうの世界でよかった!と安心する。


そうこうしている間に電車酔いしたので今日はここまで。

着ニート

世の中で、脱〇〇という言葉をよく聞く。脱サラとか。ほかには別に思い浮かばなかった。

まあ何はともあれ、脱ニートとかいう使い方もするはずだ。脱〇〇があるのなら、逆は何ていうのだろう。

そこで着ニートというタイトルにしてみた。


お察しの通り、本日からわたしは晴れてニートになりました!


まあまあ働いたので、細々と生きていこうと思っています。

おわりとはじまり

どうも〜。ご無沙汰!

わたしです。


3週間の抑留が終わり、明日から再び大学です。

感想としては、もうマジでしんどすぎてゲロゲロの3週間でした。。

わたしに中学英語は無理なんだと痛感した。でも子どもから手紙もらったり声かけられたりしてたくさん泣くくらいに思い入れは大きかった。

できることを少しずつでもいいから積み上げていこうーーポジティブに言うとこんな感じ。


楽しかったし、しんどかったし、早く終わって欲しかったけどもっと居たかった。ぜんぶ本当の気持ちです。


大学に行けばみんなきっと追い込まれていて、わたしは浦島太郎になるんだと思う。

それによってまわりに不快感を抱かせるなよ。忘れることなかれだぞ、わたし。


言うてわたしも明日から、二次試験に向けて死ぬほど追い込み…というか、準備をしなくてはならない。

ベクトルは違えど、みんなと一緒に頑張ることに変わりはない。

いい雰囲気には流されよう。悪い雰囲気は流していこう。


おわりとはじまりの真ん中(正確にいうとはじまりの一番はじめ)の今日は、自分のためにじっくり使えた一日だった。

明日からはじまる、はじまりに備えて長い夜をもっと贅沢に使えたらいいな、と思う。


ではまた。



5月

これから何回も来るであろう、5月

こんなにも充実した5月はもう二度とないと思う。

今月は、論作文の呪縛から解き放たれ(?)て勉強一本で死ぬほど勉強している。

ゼミで集まって勉強して、タイミングが合えば夜ごはん食べたり、ゲーセン行ったり、誰かの家に行って朝まで話していたり。

とにかく勉強も人付き合いも、ひとつひとつ時間をかけて、丁寧に過ごすことができた。


今日は、バレー大会が校内であってそこにゼミで参加してきた。

先週と先々週に体育館を借りて練習をしていたのだけれど、わたしは本当に運動音痴でサーブすらまともに打てなかった。

先々週は腕が真っ青になるまでサーブの練習をした。友達も付き合ってくれて、どうやったら打てるようになるか考えてくれた。

先週は練習試合で、打てるようになったことを褒めてくれた。

そして今日、サーブミスは一回もなく、ばっちりだった!試合中もめちゃくちゃ褒めてくれて嬉しかった。


昨日ツイートしたのだけれど、最近はずっと、大会当日になってほしくなかった。ずっと大会に向けてみんなと練習していたかった。

ほんとにほんとに、楽しかったから。


今日、大会に出られて幸せだったし、思い出に残る一日になった。


わたしは今日のことを思い出してずっと2回戦のことを悔しがるだろうし、昨日までのことを思い出して幸せと寂しさの入り混じった気持ちになるのだと思う。


これから、いまの人間関係が悪く変わってしまう可能性は無いとはいえないけど、変わらず集まってお腹を抱えて笑っていたい。もちろんモヤっとすることだってあるけれど。

依存と言われたらそこまでだけど、一緒にいるときにこれだけ楽しい人たちは世界中さがしてもあまり居ないと思う。

そんなことを心の底でずっと、考えている1ヶ月です。